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浦和地方裁判所 昭和39年(ヨ)126号 判決

申請人 佐久間藤樹 外二名

被申請人 大都工業株式会社

主文

一、被申請人は各申請人を被申請人戸田生コンクリート工場の従業員として取扱わなければならない。

一、被申請人は各申請人に対し昭和三九年五月以降毎月別紙債権目録記載の金員を毎月一〇日限り支払え。

一、訴訟費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

一、申請人代理人は、主文同旨の判決を決め、被申請人代理人は、「本件申請を却下する。訴訟費用は申請人の負担とする。」との判決を求めた。

二、申請人代理人は、申請の理由として次のとおり述べた。

(一)  被申請人は肩書地に本社を、名古屋市、大阪市に支店を、埼玉県北足立郡戸田町上戸田稲荷木その他に営業所を各有し、浚渫埋立、港湾工事、土地造成並びに砂利・砂・砕石・割栗石の生産販売、ブロツク、生コンクリートの製造販売等の事業を営む会社である。申請人三名及び元共同申請人田島武夫、鈴木鬼志雄、浜本修司はいずれも被申請人戸田生コンクリート工場(以下戸田工場という)に勤務し、全国自動車運輸労働組合(以下全自運という)大都生コン支部(以下支部という)の組合員であり、右六名のうち佐久間は委員長、増子、浜本は副委員長、鈴木は書記長、安住は執行委員である。

(二)  申請人ら(前記元共同申請人三名を含む。以下同じ)は他数名の戸田工場従業員と共に昭和三九年四月二日全自運に個人加入し(但し田島を除く)、四月一一日戸田工場全従業員約一二〇名のうち運転手三八名、整備係三名、生産係一名合計四二名をもつて支部を結成し、支部として全自運に加盟した。そして同日の結成大会において申請人ら(田島武夫を除く)はそれぞれ前記の支部役員に選任された。

(三)  同月一六日申請人らは戸田工場の工場長阿部渉に対して組合を結成した旨を通知すると共に風紀の粛整、労働時間短縮を中心とする要求を申入れた。

(四)  ところが

(一) 被申請人は翌一七日支部役員を本社に呼び集め、江川人事部長から「君達は何故全自運に加入したんだ、全自運は赤だ、全自運に入ると会社がつぶれる。君達が脱退しなければ戸田工事は閉鎖する、全自運を脱退すれば要求をきいてやる」などと申し渡し全自運の脱退方を強要し且つ威迫した。続いて戸田工場職制等を通じ支部脱退を勧誘した。

(二) なお同月二三日阿部戸田工場長は要求を入れることを条件に全自運の脱退を求めた。その頃、江川人事部長は浜本を本社に呼び「君は運転手にしておくのはもつたいない。人事課へ来ないか」などと申入れ、支部の脱退切崩しを始めた。

(五)  右のような被申請人の執拗な全自運脱退、支部脱退工作により支部が動揺したため、申請人らは四月二四日臨時大会を開き全自運脱退について協議した。その際申請人らは何れも脱退反対の意見を強調し、右大会の結果全自運の傘下に留ることを確認した。

(六)  ところが被申請人は、同月二五日申請人佐久間、前記浜本を海運建材株式会社に出向せしめる、前記田島を被申請人会社千葉支店出州作業所に、申請人増子を同支店習志野作業所に、申請人安住を同支店五井作業所に、前記鈴木を東京支店八戸作業所(青森県)に各配転する旨の意思表示をした。被申請人の右出向、配転命令は、明らかに組合の中心分子であり且つ全自運脱退反対を強調する申請人らを工場外に排除し、もつて支部を壊滅せしめようとする行為であり、不当労働行為として無効といわねばならない。

(七)  右配転に対し支部は不当労働行為であるとして、その撤回を申し入れたが被申請人は撤回しないことは固より四月三〇日以降は申請人らが工場敷地、建物内に入ること及び就労を拒否している。

(八)  各申請人の昭和三九年三月分の賃金は別紙債権目録記載のとおり(申請人安住の分が五七、八〇〇円との主張は明白な誤記と認む。成立に争ない乙第一三号証の五参照)であり、被申請人の賃金計算は前々月二六日から前月二五日までを一ケ月とし、毎月の一〇日に支払うことになつている。

(九)  よつて申請人は被申請人に対し、昭和三九年五月以降毎月一〇日限り右債権目録記載のとおりの賃金の仮の支払いを求め、併せて戸田工場勤務の地位を仮りに定められたく本申請に及んだ。

三、被申請人代理人は、申請の理由に対する答弁として、

申請の理由第一項中、申請人らが全自運大都生コン支部の組合員であること、申請人らがそれぞれ主張のとおりの組合役員であることは知らないが、その余の部分は認める。

第二項の事実は知らない。但し戸田工場全従業員が約一二〇名であることは認める。

第三項の事実は認める。

第四項の事実は否認する。

第五項の事実は知らない。但し被申請人が全自運脱退等の工作をしたことは否認する。

第六項中、被申請人が申請人主張の配転ないし出向の意思表示をしたことは認めるが、その余の部分は争う。

第七項の事実は認める。

第八項の事実は認める。

と述べ、

主張として次のとおり述べた。

(一)  被申請人の行なう人事配置転換の特質。

被申請人は建設業等を営むが、業界の人事配置転換は、一般生産工場等の私企業の場合とは全くその性格を異にする。

すなわち、被申請人は現在約十四ケ所の作業所、並びに約二十六ケ所の工事現場を有し、しかもその現場は広地域に散在している。一方作業所並びに工事現場は、概ね四ケ月乃至一年の期間をもつて臨時的に設置されるものであり、一ケ所の工事が終了すれば他の現場に移動するという浮動性をもつている。したがつて被申請人の行なう配転は、右のような性質をもつ工事現場を有機的に結合して配慮せねばならないし、且つ工事の種類、規模、及び態様等にかんがみ、適時、適量を迅速に充足せねばならない要請が熾烈である。このような配慮と要請に応えるために、従来被申請人は工場、営業所等を常置すると共に、工事受注の際はその都度労働力の現地確保に力を注いできた。しかし、技術、技能職員ことに管理的指導力を有する者に至つてはその現地確保は全く不可能の状態であつた。いきおい被申請人としては、建設業界一般の例に洩れず、こと配転に関しては、人員を一工場、一作業所に長期間固定的に配置する方法は採らず、多数散在する工場、作業所間を短期間流動的に融通配置することとしていた。

(二)  戸田工場は配転要員の補給源である。

被申請人の戸田工場は、昭和三十七年十一月新設され、現在建設基礎資材である生コンクリートを生産(日産平均三百七十リユーベ、ミキサー車百二十五台分)し、ミキサー車四十八台等をもつて運搬販売に従事している。

しかして、被申請人は、昭和三十六、七年以来設備の拡張をなして業績を飛躍的に増加させ今日に及んでいるが、ために、各工場、営業所及び作業所の要員は極端に不足をきたし、ことに技術技能系職員の払底は被申請人の前記流動的配転の隘路となり、延いてはその業務遂行に一大支障を与えるに至つた。ここにおいて被申請人は、技術技能系職員の配転に機動性を付与する方策として、その規模、設備及び生産量等において被申請人の各工場中最高水準を示す戸田工場をして、機械、電気、車輛、資材等の基礎知識並びに技術技能の修得養成にあたらせることとし、このようにして養成された技術技能職員を随所に配転する補給源としたのであつた。したがつて、戸田工場の技術技能系職員は、平素定員をはるかに越えて遊休的に常備配置されており、且つ技術、技能の修得者は、長くて一年八ケ月、短きは二ケ月、平均七、八ケ月で各工場、作業所等に補給されている実情である。

申請人らはもとより戸田工場の右のような性格を知悉しているのであるが、同人らの配転拒否行為は同工場の使命的機能を完全に麻痺させるものである。

(三)  本件配転は申請人らの組合結成や組合活動とは無関係である。

申請人らは戸田工場に勤務して以来、田島において一年余、佐久間において約七ケ月、鈴木、安住及び増子において各約一年五ケ月、浜本において約一年四ケ月の長期間にわたり、いずれも運転手としての技術技能を修得し、既に指導的立場にあり、ことに右のうち、田島、佐久間の両名を除く四名は、各班長として管理能力をも併せ備えるに至つている。結局申請人らは、戸田工場の前記補給源的機能の中で全員が配転適状にあつたのである。

一方、被申請人は、後述の理由により昭和三十八年十一月頃より鶴見工場並びに大井川、五井、出州、習志野、八戸等の各作業所に運転手ことに指導管理的技術技能職員の補充方を促進しなければならない情勢となり、これら要員の補給源は当然のことながら戸田工場に向けられた。かくて被申請人は、昭和三十八年十一月頃より昭和三十九年三月頃までの間、前後十数回にわたり、申請人らに対し、概括的にあるいは個別的に右工場、作業所への配転希望の有無を問い、且つ戸田工場の事情が申請人らを配転する外はないので進んでこれに応ずるよう説得を重ねた。ことに、被申請人は昭和三十九年二月下旬の班長会議の際、工場長室において、増子、安住、鈴木及び浜本の四名に対し、「希望者がなければ会社で人選し、近く配転命令を出すので了承して貰いたい。」旨申し向けておるばかりでなく、おそくとも昭和三十九年三月下旬までには六名全員に対し、前記作業所等への配転を予告し終つたのであつた。右の次第で、被申請人の本件配転は、業務上の必要に基き、申請人らの主張する組合結成期日である昭和三十九年四月十一日以前既に計画され且つ申請人ら全員に予告されていたのであるから、本件配転が申請人らの組合結成や組合活動とは何等の関連もないことは明らかである。

しかして、被申請人の申請人らに対する今次配転命令が同年四月二十五日付でなされるに至つたのは、偶々同月一日被申請人の機構改革がなされ、申請人らの配転も右機構改革に伴なう一連の関連人事に組み入れられて実行に移されたためであつた。すなわち被申請人の機構は従来の七部制から五部制に縮少された反面、支店は従来の二支店から四支店と増加を見たのであるが、右に関する人事異動は、四月五日、部長、支店長級発令、同月十五日、主任級発令、同月二十二日、一般職員発令、同月二十三日、新入社員配置発令、同月二十五日、技術、技能職員発令、として計画実行されたのである。以上によつて明らかなように、本件配転発令の四月二十五日が偶々同月十一日の申請人ら組合結成、あるいは同月二十四日の臨時大会直後であつたとしても、本来かかる組合問題は被申請人の関知しないことであるばかりか、それは誠に止むを得ない事の成り行きの結果であつてこのような被申請人の行為を目して不当労働行為となすが如きは失当のそしりを免れない。

(四)  各作業所の配転要請と申請人らの適格性。

田島に配転を命じた千葉支店出州作業所は、昭和三十九年四月一日工期開始、昭和四十二年三月一日竣工予定の総額十八億五千万円に上る千葉港中央地区土地造成事業埋立工事現場をもつ新設のものである。したがつて、同作業所関係の人員は、すべて新規に配置せねばならず、さしあたり運転手一名の配員は緊急の必要に迫られていた。しかもこの運転手は、昭和三十九年七月に予定された千葉支店用乗用車二台を併せ管理する能力を有する者でなければならなかつた。

申請人佐久間及び浜本の両名に配転を命じた海運建材株式会社は昭和三十七年三月二十日創設された被申請人の子会社的企業体で、関東地方の砂利砂等の危きん緩和のため、大井川のそれを海上輸送により京浜、京葉及び中京地区に販売することを業としている。被申請人は、従来から同社の人的補充を出向形式で行なつていたが、同社からはこのたびも数次にわたつて技術技能系職員若干名の配転を切望してきていた。申請人増子に配転を命じた千葉支店習志野作業所は、昭和三十八年十二月請負、昭和三十九年八月竣工予定の総額五億七千五百万円を計上する津田沼地区埋立工事現場を有し、該工事は八ケ月の予定をもつてする突貫作業であるところ、ブルドーザー二台の操作者が皆無の状況にあつて、つとに現地から優秀技術者の配置方要請がなされていた。

申請人安住に配転を命じた千葉支店五井作業所は、昭和三十八年七月請負、昭和三十九年六月竣工予定の総額三億七百万円余となる五井姉ケ崎地区土地造成事業丸善三号埋立工事現場を有し、現在ブルドーザー、並びにローリー各一台の配車がなされているが、操作者一名が欠員であつたので作業に少なからざる支障をきたしていた。

申請人鈴木に配転を命じた東京支店八戸作業所は、昭和三十九年四月頃より青森港堤埠頭岸壁控工及裏込工事外数件合計二億円程度の工事が予想されているので、本年四月一日付で現地自衛隊等より技術者相当数を採用したが、現地からはこれら新規採用者の技術指導をする監督者として、しかも東北の事情に通じた者を補充願いたい旨の要望がなされていた。

しかして要員の機動的補給源である戸田工場では、かねてから優秀者配転の方針を堅持してきているが、右のような各作業所の要請に応えるため、一応運転手全員について、工場勤務年限、経験年数、及び実績評価に基き検討した結果、昭和三十八年十一月当時申請人ら六名以外にはこれら要請を満足させ得る者は皆無であり、余人をして替えることは不相当と思料されたので、同人らに対し前述のような説得、予告をなしたものであつた。勿論各人を具体的作業所に割り振るについて、その適格性を慎重判断のうえ決定したことは言うまでもない。

(五)  本件配転命令の根拠。

本件配転命令は被申請人の申請人らに対する人事権に基ずくものであつて、本社就業規則第二十九条並びに戸田工場就業規則第八条に準拠して行なわれた。

四、申請人代理人は被申請人の主張に対し次のとおり述べた。

(一)  被申請人の主張第一項について

被申請人がその主張の数の作業所及び工事現場を有していること及びそれらの施設が永久的なものでないことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)  第二項について

戸田工場の新設、同工場の生産能力及び運搬設備並びに被申請人が設備の拡張をなし、収益を増加させてきた事実は認めるが、その余の事実は争う。

申請人らはいずれも当初から生コン運転手適格者として被申請人会社に入社したものであつて、入社後何等特別の技能訓練を受けたことはない。

被申請人は戸田工場に技能職員を遊休的に常備配置していると主張するが、申請人らを含む生コン運転手の殆んどが常時、一ケ月一〇〇時間ないし二五〇時間の残業、休日出勤をなしている実状である。

被申請人は入社後平均七、八ケ月で技術技能修得者を戸田工場から各工場作業所等に補給していたと主張するが、生コン運転手については、これを同部門の運転手として、鶴見、柏等に配転した例が若干存するも、本件申請人らのように、他部門に配転ないし出向を命ぜられた例はかつてない。

被申請人において申請人らはもとより一般従業員に対しても、戸田工場が技術職員の養成所であり、その補給源である旨告知ないし周知せしめた事実はない。

(三)  第三項について

申請人らの勤務期間、浜本、増子、安住、鈴木の各人が班長であること、被申請人会社が機構改革等を行い人事異動を行つたことは認めるが、その余の事実は争う。

今回生コン運転手で配転ないし出向を命ぜられた者のうち田島を除く五名が組合役員であることは、四月一六日に被申請人に提出した組合結成通知書の記載により被申請人において知悉しており、田島は四月二四日の組合の臨時大会で全自運に留るべきであると強調している。右六名の他に戸田工場においては生コン運転手で配転ないし出向を命ぜられた者はない。四月一八日申請人らが阿部工場長に対し、全自運と手を切つたというと、同工場長は歓喜の余り泣き出し、次いで同月二〇日頃全自運の脱退証明を貰つてくることを要求し、しかも翌々二二日には同工場長自ら全自運脱退証明の文書を作成して申請人らに渡し、証明印を貰つてくることを要求し、その後も同月二八日に同工場長は従業員全員を集めて、「全自運に入る人は会社を即時辞めて貰う」、「組合を作るなら工場を閉鎖する」などと述べている。配転命令が出た後も、被申請人は戸田工場の従業員間に被申請人が作成した組合脱退届の用紙を配布している。

被申請人は申請人らを各作業所の運転手の指導管理的技術技能職員の補充として配転ないし出向せしめたと主張しているが、現地での職務内容は右主張とは全く異なる申請人らに不適格な部門である。

被申請人は三月下旬までに今回の配転を予告し終つたと主張するが、申請人らは発令の日である四月二五日に、或者は工場長から辞令を渡され、或者は工場内に張出された掲示を見て、自分達が配転ないし出向を命ぜられたことを知つたのである。

(四)  第四項について

各作業所の工場内容は認めるが、その余の事実は争う。

(五) 第五項について

申請人らに対する配転ないし出向命令は形式上就業規則に基いて行われたものであつても、その実質において、何等正当な理由がなく、且つ労使間の確立された慣行を無視し、専ら組合活動を阻止する目的でなされたものである。

五、疎明〈省略〉

理由

一、被申請人が浚渫埋立、港湾工事、土地造成並びに生コンクート等の製造販売を営む株式会社であること、申請人及元共同申請人らがいずれも被申請人戸田工場に勤務していたこと、昭和三九年四月一六日申請人らが同工場の工場長阿部渉に対し、全自運大都生コン支部を結成した旨を通知すると共に風紀の粛整、労働時間短縮を中心とする要求を申入れたこと、被申請人が同年四月二十五日、申請人佐久間、元共同申請人浜本を海運建材株式会社に出向せしめる、元共同申請人田島を被申請人会社千葉支店出州作業所に、申請人増子を同支店習志野作業所に、申請人安住を同支店五井作業所に、元共同申請人鈴木を東京支店八戸作業所(青森県)に各配転する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。また証人四ノ原竜之介、元申請人浜本修司本人尋問の結果、成立に争いのない甲第九号証の一によれば、申請人らは他数名の戸田工場従業員と共に昭和三九年四月七日頃、全自運に個人加入し(但し田島を除く)、同月一一日までに戸田工場全従業員約一二〇名のうち運転手三八名、整備係三名、生産係一名合計四二名が全自運に加入し、同日組合結成大会を開いて全自運大都生コン支部を結成し、支部として全自運に加盟したこと、同日の結成大会において、申請人佐久間は委員長に、申請人増子及び前記浜本は副委員長に、前記鈴木は書記長に、申請人安住は執行委員に選任されたことが認められる。

二、申請人は、右配転ないし出向命令は、組合の中心分子であり、且つ全自運脱退反対を強調する申請人らを戸田工場外に排除し、もつて組合を壊滅せしめようとするもので不当労働行為であると主張するので、この点について判断する。

(一)  証人四ノ原竜之助、早乙女辰夫、江川広也の各証言、申請人安住民男本人、元申請人浜本修司本人尋問の結果、成立に争いのない甲第二号証、第九号証の二を綜合すれば、次の事実が認められる。

(イ)  被申請人は組合結成の通知を受けた翌日の四月一七日、申請人らを含む支部役員数名を本社に呼び集め、阿部工場長も同席したうえ、江川人事部長は支部役員に対し、社長の方針を伝えると前置きして「君達は何故全自運に加入したんだ、全自運は赤じやないか、全自運に入れば会社がつぶされる、君達が全自運を脱退しなければ戸田工場は閉鎖する、全自運を脱退すれば要求はきいてやる」などと申し向けて全自運の脱退方を強要した。その頃、別に被申請人側は組合の役員数名に対して全自運脱退方を強く勧誘した。

かかる被申請人側の強い態度に押されて、組合内部は動揺をきたし、翌一八日に行われた組合役員の協議の結果は全自運と手を切ることに傾いた。そこで同日浜本ら数名は本社において江川人事部長に会い、全自運と手を切つた旨を告げ、組合の要求に対する回答を求めたところ、江川人事部長からそのことは阿部工場長に一任してあるといわれたので、同日夕刻戸田工場において阿部工場長に会い、全自運と手を切つた旨を告げ、組合の要求に対する回答を求め、併せて組合大会を開くための時間を要求したが、即答は得られなかつた。次いで同月二一日浜本らが阿部工場長に会い、組合の要求について交渉した際、阿部工場長は浜本らに対し、全自運の脱退証明書を持つて来なければ組合の要求はきけない旨を答えた。翌二二日浜本が頭痛のため会社を休んで寝ていると、阿部工場長が尋ねて来て、脱退証明書のことはどうしたのかと尋ね、さらに翌二三日浜本が出勤すると、すぐに阿部工場長は同人に対し、脱退証明書はどうしたかと重ねて尋ねた。そして同工場長は浜本に「わたしは今から本社の方へ行くから一緒に行こう」といつて全自運本部に行くことを促し、同工場長自ら佐久間藤樹より全自運中央本部にあてた脱退届(甲第二号証)を作成し、これを浜本に交付し、佐久間藤樹名下に浜本の印を押捺させた。そして自己の乗る自動車に浜本と前記鈴木を同乗させ、全自運本部に向つた。浜本及び鈴木は全自運の組合書記四ノ原竜之介に会い、右脱退届に全自運の押印を求めたが、こういうことは組合役員だけで決める問題ではないといつて拒否された。同日夕刻四ノ原は電話で阿部工場長に抗議したところ、同工場長は脱退届は自分の一存で作つたものではなく、上司の命令で作つたものである旨を答えた。

(ロ)  四月二〇日頃浜本は外二名と共に本社に呼ばれ、個別に江川人事部長と会つた。その際同人事部長は浜本に対し「君はよその会社で人事課勤務をしたそうじやないか、君なんか運転手をしているのはもつたいない、本社へ来たらどうか」などと申し向けた。

(ハ)  四月二四日夜、申請人らは組合大会を開き全自運脱退について協議した。申請人らはいずれも全自運脱退反対の意見を述べた。特に前記田島は脱退反対の強い意見を述べた。右大会の結果、申請人らの組合は全自運の傘下に留ることが確認された。

(ニ)  四月二八日阿部工場長は同工場の食堂に全従業員を集めて演説し、その中で「全自運に入る人は会社を即時辞めてもらう、全自運と手を組んでやるのなら戸田工場を閉鎖する」などと述べた。

(ホ)  被申請人は、配転命令を出した後も、「全国自動車運輸労働組合大都工業戸田生コンクリート支部を脱退します」と書いた組合脱退届の用紙(甲第六号証)を作成して戸田工場の従業員間に配布し、全自運脱退、組合脱退を働きかけた。

証人江川広也、阿部渉の各証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠は存在しない。

右認定の事実に照らせば、被申請人会社の幹部は全自運を嫌悪し戸田工場に全自運傘下の労働組合ができることを極力防止すべく申請人ら及び戸田工場従業員に対し、執拗に全自運脱退工作を行つたことが明らかである。

(二)  次に被申請人主張の配転事由についてみるに、被申請人が現在約一四ケ所の作業所及び約二六ケ所の工事現場を有し、その現場は広地域に散在していること、しかもそれらの設備が永久的なものでないこと、被申請人が昭和三六、七年以来収益を増加させると共に設備の拡張をなしていること、千葉支店出州作業所は昭和三九年四月一日工期開始、昭和四二年三月一日竣工予定の総額一八億五千万円に上る千葉港中央地区土地造成事業埋立工事現場をもつ新設のものであること、海運建材株式会社は昭和三七年三月二〇日創設された被申請人の子会社的企業体で関東地方の砂利砂等の危きん緩和のため、大井川のそれを海上輸送により京浜、京葉及び中京地区に販売することを業としていること、千葉支店習志野作業所は昭和三八年一二月請負、昭和三九年八月竣工予定の総額五億七千五百万円を計上する津田沼地区埋立工事現場を有し該工事は八ケ月の予定をもつてする突貫作業であること、千葉支店五井作業所は昭和三八年七月請負、昭和三九年六月竣工予定の総額三億七百万円余となる五井姉ケ崎地区土地造成事業丸善三号埋立工事現場を有すること、東京支店八戸作業所は昭和三九年四月頃より青森港堤埠頭岸壁控工及び裏込工事外数件合計二億円程度の工事が予想されていること、は当事者間に争いなく、証人江川広也の証言、同証言により成立を認めうる乙第七号証の一ないし七、成立に争いのない乙第一号証の四、乙第三号証の一及び五によれば、建設業界における配転は一般生産工場等の場合と性格を異にし、人員を一工場、一作業所に長期間固定的に配置する方法を採らず、多数の工場作業所に短期間流動的に配置するので、いきおい移動が多く、年間従業員の三分の一以上が配置換になつていること、出州作業場は新設のもので人員はすべて新規に配置されねばならず、さしあたり運転手一名の配員は緊急の必要に迫られていたこと、しかもこの運転手は近い将来千葉支店に配置される乗用車二台をも併せ管理する能力を有することが望まれたこと、海運建材株式会社は従来から被申請人会社より出向させる形式で人的補充を行つてきたもので、ブルトーザー、トラクターシヨベル、ローリーの操縦者並びに運転手の配員を切望していたこと、習志野作業所は突貫作業でありながら、ブルトーザーの操縦者二名が欠員になつていて現在操縦者がおらず、欠員の補充を切望していたこと、五井作業所はブルトーザー一台ローラー一台の操縦者が欠員になつているため欠員補充を切望していたこと、八戸作業所は事業の拡大を見越して約三〇名を現地採用したが、技術的に未熟であるので管理能力のある者の配置を要請していたこと、が認められ、また、申請人らの戸田工場における勤務期間は田島が一年余、佐久間が約七ケ月、鈴木、安住、増子が各一年五ケ月、浜本が約一年四ケ月であること、申請人らのうち浜本、増子、安住、鈴木の四名は班長であることは当事者間に争いがない。

以上の各事実を綜合すると、被申請人主張のごとき事情から申請人らに対し本件配転ないし出向命令をなすに至つたかのように一応は窺われる。しかし、

(1)  元申請人浜本本人尋問の結果によれば、戸田工場においては申請人らを含む生コン運転手の殆んどが一ケ月二〇〇時間前後の残業休日出勤をしている実情であること、申請人らが生コン運転手の適格者として入社して以来、申請人らが戸田工場において機械、電気、車輛、資材等に関して特別の技能訓練を受けたことはないことが認められ、このことからも戸田工場に技術技能系職員が遊休的に常備配置されているものとはいえない。また成立に争いのない乙第三号証の二、証人阿部渉の証言によれば、以前に運転手で戸田工場から他の工場作業所に配転になつたものはいるが、配転先はいずれも比較的近い柏工場(千葉県)、鶴見工場(神奈川県)等であり、生コン運転手で非常に遠くの地に配転になつた前例はないこと、生コン運転手からブルトーザー、ローラー等の操縦やライトバン運転の職種に配転になつた前例もないことが認められる。右によれば必ずしも戸田工場が配転要員の補給源的性格を濃厚に有するものではない。

(2)  元申請人浜本本人尋問の結果によれば、浜本は本件配転について事前に相談や内示を受けたことはなく、四月二五日夕刻突如として配転命令を知つたこと、四月一六日以降浜本は阿部工場長と何回も、或は他の申請人らと共に、或は個別的に会い、江川人事部長と個別的にも会つているにも拘らず、かかる機会に配転の話は全く出ていないことが認められる。被申請人は、遅くとも昭和三九年三月下旬までには申請人ら六名全員に対して作業所等への配転を予告し終つたと主張するが、右事実を認め得る何らの資料も存在しない。証人阿部渉、矢野政義は、阿部工場長が本社に対し申請人ら六名を含む一二名を配転適格者として推せんしたのが同年三月初めであり、本社より申請人ら六名の配転が指示されたのは、同年三月末であると証言しているが、その旨の文書もなく(阿部証人の証言)、却つて成立に争いない甲第一一号証の一、二によれば、申請人等六名を含む昭和三九年五月分公休割当表をその前月二四日(配転の前日)付で作成していること及び証人阿部の供述によれば配転命令を受けた本件の六名はブルトーザー運転の特殊免許を持つていなかつたことが明らかであるところから観ても右証言は到底信用できない。

(三)  以上の(一)、(二)を綜合すると、申請人らに対する本件配転ないし出向命令は、全自運を嫌悪し戸田工場に全自運傘下の労働組合のできることを快しとしない被申請人が、組合の役員であり(田島を除く)、且つ全自運脱退に反対している申請人らを、前記各作業所及び海運建材株式会社に配置換して、その組合活動を阻止する意図をもつてなされた不利益な取扱いであり、しかも右意図が本件配転ないし出向命令をなすに至つた主要な理由であると推断するのが相当である。以上のとおりであるから、申請人らに対する本件配転ないし出向命令は労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であつて、この効力は否定されるべきである。

三、被申請人が昭和三九年四月三〇日以降申請人三名の戸田工場の敷地、建物への立入り及び就労を拒否していること、申請人三名の同年三月分の賃金が別紙債権目録記載のとおりであること、被申請人会社の賃金計算が前々月二六日から前月二五日までを一ケ月とし毎月一〇日に支払うことになつていることは当事者間に争いがなく、また被申請人が昭和三九年五月分以降の賃金の支払を拒んでいることは弁論の全趣旨に照らし明らかである。賃金を主な収入源とする賃金生活者にとつて、配転ないし出向命令が無効であるにも拘らず、工場への立入り及び就労が拒否され賃金が支払われないことは特段の事情のない限り著しい苦痛であり、速かにその雇傭契約上の地位が保全されなければ回復することのできない損害を蒙ることは明らかである。

四、よつて申請人の本件申請は正当としてこれを認容すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 長浜勇吉 伊藤豊治 杉山伸顕)

(別紙)

債権目録

佐久間藤樹 四五、六二五円

増子亀雄  五五、二九一円

安住民男  五〇、七〇四円

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